闘技場に入り浸る男がいた。
漆黒の太刀を持ち、その湾曲した牙で数多のモンスターを狩り続ける男だった。
漆黒爪【終焉】
神と呼ばれるモンスターを倒した証。男はその太刀で、どれほどの終焉を招いた事だろう。只管に倒され続けるモンスター。まるで軽作業でもしているかのごとく、淡々と進められる戦闘。
狭い闘技場を縦横無尽に駆け回る男は、研究者達に監視され、密かにこう呼ばれていた。
戦闘マシーン
太刀を好んで使う男だった。けれど実際は、彼に使いこなせない武器はない。太刀のリーチ、素早い攻撃に加え、攻撃を当てれば当てるほど攻撃力の上がる特性が、男の好む所だっただけ。
そして実際は、マシーンと言われるほど機械的でもない。
男は戦闘中、ずっと、ずっとだ。笑い続けていたのだから。
男にとって、モンスターの名称などどうでもいいものだった。
敵
それだけでよかった。
何が苦手で、どういう攻撃をしかけてくるか。それだけが重要だった。研究者は概ね男の考え方に賛同する。彼らにとって名称は、記号でしかない。更に言えば、頭からモンスターの血をかぶり、それでもまだケタケタと笑う男の名さえ、彼らにとっては記号でしかない。
男はそれでも構わないと思っていた。闘技場にいれば、いくらでも連続でモンスターを狩る事が出来る。昼も夜も、休む事なく。目の前に立ち塞がるモンスターが何処で生活しているか、どのような生態かなど、どうでもいい。
男にはこれといって親しい仲間もいなかったし、景色を眺める趣味もない。物欲もなかったから、男が手にした素材は全て売ってしまった。男にとってはただ、倒す相手がいればよかった。
そんな男にも、二言三言話す相手がいた。
フレイキー、男の身の回りの世話をする子供で、料理がとても上手。
外に出たがらない男が、フレイキーのお願いにだけは、しぶしぶ出かけて行き筍やキノコを採取するくらいには、親しいと言える唯一の相手。
フレイキーはいつも、困った顔で男を見つめる。時にその赤茶色の瞳が濡れている事すらある。
「名前は、ちゃんと、呼んで欲しいです」
臆病なフレイキーは、男に睨まれるとすぐ口を噤み、時には部屋の隅に逃げてしまうけれど。何度も何度も言葉を変えては、同じ事を言った。
「私は、フレイキー、です。おい、でも、お前、でもないです」
男は、フレイキーが何を言いたいのかわからない。心底わからなかった、何故そんなくだらない事に拘るのだろう?言われる度苛立ちが募る、フレイキーが自分とは全く違う生き物に見える。気持ち悪いとすら、思った事があった。
うるさい、喋るな、出て行け
散々罵声を浴びせかけたし、時には突き飛ばしたりもした。臆病なフレイキーが、到底耐えられないような怖い事も。
それでもフレイキーはいなくならなかったし、男は頼まれれば筍やらキノコやらを取りに行った。
全く不可解だ。フレイキーは、男にとってあまりにも不可解な生き物だった。だからこそ余計、闘技場に入り浸ってしまったのかもしれない。
何よりも苛立ったのは。
フレイキーの言葉の半分も理解出来ない、自分の正常ではない頭。
倒せ、倒せ、倒せ
それだけにしか価値を見出す事が出来ない、刹那的な生き様。
では俺は、いつ倒されるのだろう。
何時しか男は、そう考えるようになっていた。それが待ち遠しいとすら、思うようになっていた。
ある日、闘技場に行くと先客がいた。水色の髪の男と、赤紫の髪の男。
男にとっては珍しい事に、暫くの間…正確には、彼らが戦っている間、ずっとその動きを目で追ってしまった。
水色の男は、観賞するに値するハンターだったから。スラッシュアックスを自在に変形させ、確実に急所を狙っていた。特に、剣モードの時の開放は見事。入れた瞬間絶対にダウンを取っていたし、水色の男の前ではどんなに巨大なモンスターさえ赤子のよう。
それに比べ、赤紫の男は技術的に劣る。狩猟笛の演奏は完璧にこなしているけれど、回避にムラがあった。モンスターに対する攻撃など、一切仕向けない。ただの支援笛だとしても。水色の男と比べたら、あまりにも見劣りする。
何故
何故そんな男を連れている?何故…支援笛など、必要ないほど強いのに
男には理解出来なかった。役にもたたない相手と共に戦い、ひどく楽しげに声を掛け合うふたりが。力の差は歴然なのに、戦闘が進むにつれ妙に息が合い始める意味が。
だから、全てのモンスターが倒されたとき。水色の男と目が合って、にぃと笑われて。
「お馬さんの太刀だね!」
言われた時。男はわけもわからず太刀を抜いていた。
苛立たしい、何もかもが、苛立たしい。
「あっれ、このクエストこんなオプションもあったっけ?」
見当違いの事を言いながら、水色の男が回避を繰り返す。赤紫の男は、状況が飲み込めていないのか、ぼんやりと佇んだまま。
「あ〜…相手は俺がするから、モールは攻撃しないで。まだ太刀の軌道とかわかってない」
なんかこれ、当り判定つきそうだから
水色の男は、予想外の事態だろう今になってすら、さほど慌ててはいなかった。対人戦にすら慣れているのか。
それならば…それならば!
「俺を、倒せたらなぁ!」
男は、今までにない高揚感を感じていた。倒されるかもしれない。遂に、倒されるかも。
水色の男が、渋々というようにスラッシュアックスを持ち直す。
王牙剣斧【裂雷】、雷属性、強激ビン。
長身を駆使した一撃は、重い。更に強激。まだ斧モードではあるけれど、剣になったときの速さは先ほど確認した。楽しい、楽しい!
「あのね、ひとつだけ冷静になって聞いてくれる?」
お互いガードは出来ない。回避しながらの攻撃を繰り返しながら。頬に切れそうなほど強烈な風圧を感じながら。男は心の中で毒づいた。
冷静だ、俺は今までにないほど冷静だ
「一番最後に、モールが演奏した音、覚えている?」
斧ならばリーチで勝る。けれど、ステップ回避で切り上げが全く当らない。ここまで当てる事の出来ないモンスターは初めてだ。
楽しい、太刀はずっと発光しない、一度も攻撃を当てられていないから。攻撃力が上がらない、その早い抜刀すら回避される。なんて素晴らしいモンスターだろう。
「あれね、スタミナ減少無効。それらしいスキルついてないみたいだから、俺に勝つの無理だよ?」
もうそろそろ効果終わるけど、こっちも終わるね
剣モードに切り替わった瞬間が、終焉となった。自らが下ろさない終焉。回避の繰り返しで削られていたスタミナと、一気に伸びるリーチ、届くはずのない間合すら無効化され。
「モール、おさらい!スラアクは?」
「…対人戦最強」
ビリビリと腹が痺れた。吹き飛ばされた先、スタミナ切れで立ち上がる事すら出来ない。 それが、男の最後だった。
「モール〜、太刀回収したら回復してあげて」
今まで手離した事のなかった終焉が、無造作に蹴り飛ばされ。霞む視界に割り込んできた水色の男が言う。
「あんた、さっきから人の事モンスターモンスターって、気分悪いなぁ。確かにちょっと前まで、化け物って呼ばれてたけど。最低でも俺は、本当に化け物になったらやばい、くらいの理性あったよ」
あんたとは、違う
ランピーとモール。
何故か温泉に頭から放り込まれ、並んで湯に浸かっていた。つい先ほど切りかかってきた相手への対応として、正しいのか間違っているかがわからない。最低でもお互い武器を持っていないという意味では、有効かもしれないけれど。何故一緒に入るのかわからないまま、薄水色の湯に浸かる。
最初に告げられたのは、さも当然のように名前で。男は、一瞬何を返していいかわからなくなる。
「あんたは?」
「…………フリッピー」
それでも、向こうから名前を聞かれて答えないほど、性格が捻じ曲がってはいないので。告げた名は、久しぶりすぎて自分の物とは思えなかった。フリッピー、それが男の名前。心から望んでいた敗北を経験し、放心状態から脱しない男の。
「ああ、あんたか。闘技場の戦闘マシーンフリッピー」
戦闘マシーン、だけではなかったのか。
フリッピーはぼんやりと、そんな事を考えていた。
戦闘マシーンにも、名はついていたのか…。
「じゃあ丁度いい、報酬頂戴俺が勝ったんだから。フリッピーってどの武器も一定レベル使いこなせるんだろ?モールに回避教えてあげて、俺笛使った事ないからよくわからない」
「……は?」
「当面回避練習で色んなとこ行くから、とりあえず朝9時集会場集合で」
「え?!」
「明日はハンマー持つ予定だったけど、全員打撃になるか…またスラアクにするから、尻尾いるなら切るよ」
「いや、いらねぇけど!!なんでパーティ組む事なってんだ!!」
放心状態は、この時点で解けていた。名前ももう、気にならなくなった。ただ、必要ないと思っていたパーティに、誘われてしまった初体験への戸惑い。
必要ないのに
ひとりで何でも倒せるのに
「フリッピー、よろしく」
何でだろう。フリッピーは、心底理解出来なかった。白い手が、沢山の傷が残る、まだ武器を持ちなれていない柔らかな手が。検討外れの方向に差し出され、モールは目が見えないのではないかと、この時始めて気が付いて。
どんだけ責任重大だ!!
思ってしまった自分が、心底理解出来ない。
あまりにも理解出来なくて。フリッピーは家に帰るなり、大声でフレイキーの名前を呼んで。
「フレイキー!!俺、友達出来た!!」
「ふぇ…ふええええええ!!やったです!!でかしたです!!」
何故かフレイキーと、大喜びしてしまうほど。
この時点で漸くフリッピーにも、わかった事がひとつある。
名前を呼んで貰えるのは、嬉しい事だ。意固地になって名前を呼ばないよりも、フレイキーの名前を何度も、何度も呼んだ方がずっと気持ちがいい。
どんなに邪険にしても、怖がりの癖に。いつまでも傍にいてくれた、この世で一番大切な子なのだから。
ランピーは、微妙な顔で目の前に立つフリッピーを見た。
ニコニコと笑うフリッピー。傍らにはフレイキー。
随分前に無理矢理パーティを組んで、それからずっと一緒にいる仲間。最初の頃の凶悪面はいつの間にかなりを潜め、今ではある程度の感情をセーブする事が出来るまでになり。
その代わり、フレイキー好きがデンジャーラインにまで達してしまったフリッピー。
「お、お弁当作りました!皆で、食べて、くださぃ」
必死になって籠を差し出すフレイキー。を、見る眼が、そろそろ本気でやばいと思う今日この頃。
「…フリッピー、今日も元気に復唱しようか」
ひょいとフレイキーを抱き上げて、モールにそのまま受け渡し。咄嗟に伸びかけたフリッピーの手を払い。
「その1!!フレイキーはアイルーです!!その2!!種族が違う事を理解しています!!その3!!獣姦駄目絶対!!」
赤トラフレイキーを守るため。他のアイルーよりも長毛で、語尾がにゃんではなくですますな、希少価値の高いアイルーだから。何かがあってからでは取り返しがつかない。そう決めて、今日もランピーは復唱を促す。
「うぅ…その1、フレイキーは…フレイキーだよ、フレイキー!!」
何時もこんな感じで、中々素直に復唱をしてくれないけれど。
「…ご主人様、悪い?」
オドオドとその様子を見ながら問いかけたフレイキーに、モールは静かに笑いながら言う。
「大丈夫、フリッピーは素晴らしいハンター。悪いのは、君に対する時の頭だけ」
闘技場でただひとり、自らを打ち砕く相手を待つ。そんな日々を送っていたフリッピーよりは、ずっといい。
今のフリッピーはボウガン使い、全ての武器を使いこなせるけれど、もう太刀使いではないのだから。
END
|